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TEE(''ティー''、1982年11月26日 - )は日本の男性シンガーソングライターである。芸名は本名の頭文字から名づけられた〔。 == 経歴・人物 == 広島市安佐南区出身〔中国新聞2011年12月30日3面〕〔卒業生の声 | 広陵学園 広陵高等学校 〕。16歳からボクシングを始め、広陵高等学校、法政大学時代に通算6度の国体出場〔。大学時代にはアテネオリンピック候補選手として日本代表の合宿にも参加するなど実績を残し将来はプロ・ボクサーを目指すものの大学3年のときに肘と肩の怪我で断念〔。 大学卒業後の2005年秋、カナダのトロントに留学〔。地元の子供にボクシングを教える傍ら、たまたま遊びに行ったクラブで3000人の客を熱狂させるDJの姿に感動。自分もステージに立ちたいという想いを募らせ、その後毎週クラブに通い詰める中で徐々に音楽仲間も増え、毎日路上でジャムやセッションを繰り広げるなか自らもマイクを握るようになる。そんなとき公園で出会った、とあるミュージシャンの自宅スタジオに誘われ、ピアノで弾き語りで演奏されたデズリーの「ユー・ガッタ・ビー」に感動。それが「ユー・ガッタ・ビー」の作曲者であるAshley Ingramその人であることを知る。トロントでの1年9ヶ月の滞在を経て、音楽という夢を見つけたTEEは、日本でミュージシャンとして挑戦していくことを決意した。 帰国後、地元広島の路上やクラブで演奏した「DON’T CRY HIROSHIMA」(トロントで最初に作った曲)が徐々に話題を呼び、地元フリーペーパーRAMPAGE が開催するイベントではSATOMI'とのスペシャル共演を果たし、AI、Full Of Harmony、JAMOSA といった数々のアーティストのフロントアクトを務めた。 その後活動拠点を東京と広島に移し、2009年7月にはプロデューサー今井了介のレーベルnanorebelよりファースト・ミニ・アルバム『Palette』をリリース。リード曲「Change My Life」がi-tunesの今週のシングルに選ばれた。楽器は習ったことはなく発声や作曲は独学〔。メロディは感性の赴くままに鼻歌まじりに作り上げる〔。 2010年に入りレコード会社各社争奪の末、ユニバーサルシグマとメジャー契約。「3度のメシより君が好き」で7月にメジャー・デビュー。10月27日にはセカンド・シングル「ベイビー・アイラブユー」、11月17日にはファースト・アルバム「Kido I Raku」をリリースした。とくに「ベイビー・アイラブユー」は全国各地でヘヴィー・プレイされてロング・ヒットを記録。USEN J-POP総合チャートでも2010年9月の初登場以来22週連続チャートインの新記録を打ち立て、着うたダウンロードは70万を超える大ヒットとなった。2011年2月6日に開催された「Billboard JAPAN Music Award 2010」でも、「ベイビー・アイラブユー」で見事「New Artist of the Year 2010」(最優秀新人賞)を獲得し注目を集めた。2011年2月23日リリースのニュー・シングル「電話で抱きしめて」も、着うたフル・デイリー・チャートで初登場2日連続1位を記録。 2013年には『わがまま 遊turing TEE』にて遊助とコラボし、母への感謝の曲を作成した。 好みのタイプは石原さとみ〔MUSIC LAUNCHER#191より。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「TEE (歌手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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